「でもしか先生」と呼ばれるわけ (朝礼ネタ656)

学校の教員というのはちょっと世間から見ると変わった職業です。なぜならば、初めからお客さんである生徒やその保護者からは先生と呼ばれるのです。これは政務所に勤める刑務官と同じなのです。

社会に出て初めから「先生、先生」と呼ばれるということは非常に危険です。なぜならば、右も左もわからない状態から先生などと呼ばれていると自分は何も意識しなくともエライ人であるという風に勘違いしてしまうからです。

つまり、常に生徒よりも先生である自分が立場が上なので、生徒のこと軽んじてくるのです。そのために、生徒というのは自分の話を黙って聞き、それを実行しさえすればいいと考えるようになるのです。

多くの教員というのは教員になりたてのときには大志を抱いて教員になるのですが、その職場で数年も働いていると、そこの職場の空気に染まり、自分というのが生徒よりも賢く、そしてエライ人間であると勘違いしてしますのです。

ですから、教員というのは何か学校で問題が起こったとしてもそれを解消するということを考えずに事なかれ主義に流されて、問題を解決するのではなく、放置するということを行なうのです。

もちろん、このような一般的な教員ではなく、教員の中には生徒と真剣に向き合い、生徒と寄り添うようにして、一緒に悩み考えるというすばらしい教員もいます。しかし、そのような教員はごく一部なので、結局教員という職業は世間からは「でもしか先生」と呼ばれるのだと思います。

もう1記事読みませんか?


職種別


シェアしていただけると喜びます。