オリジナルという幻想 (朝礼ネタ501)

どういうわけか多くの人は「オリジナル」と言う言葉に弱いようです。オリジナルのやり方だとか、当社独自のやり方だとかこういう文言に非常に弱い人たちというものが存在します。しかし、オリジナルのものでそれが汎用性のあるものならば、それを発見したということは、それは新しい発見ですから特許申請や論文が書けるレベルだということになります。

しかし、多くの「オリジナル」だというやり方にはそのようにされたものはありません。なぜでしょうか。その「オリジナル」とは実は発言者だけが有効だと思っているやり方だったりするからです。たとえば、正方形の体積を求めるためにはオリジナルのやり方もなく、決められたことをやるだけでその体積を求めることはできます。

つまり、私たちがそのやり方を踏襲してだれでもうまくいくやり方は汎用性のある科学的根拠のあるものでなければならないにもかかわらず、多くの人は「オリジナル」というものにこだわりをもち、それがあたかもさも大事なように思うようなのです。

科学的でありなおかつオリジナルのものを探すことは様々な実験や検証を通してしかそれが正しことであることは証明できません。それを証明するためには莫大な時間とお金がかかることがあります。ですから、私たちはなにもオリジナルのやり方にこだわる必要がなく、科学的に見て正しい行いをすればいいだけなのです。

ただ、どういうわけか、それでも科学的ではない「オリジナル」のやり方に強く引かれ、それにこだわる人も一定数いることは確かです。

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