私たちはなぜ学ぶのか (朝礼ネタ157)

私たちはなぜ学ぶのか。
子どものころ、誰でも一度はこんな疑問をもったことがあるのではないでしょうか。

今の子どもたちも決まって、この疑問をもち、私たちに訪ねてきます。
聞かれたことのある方はどのくらいいますか?
ちなみにその時なんて答えましたか?

この質問、とても素朴ですが、考えてみると実に難しいですよね。

今日はそんななぜ学ぶのか。について話をしたいと思います。

そもそも、こんな疑問をもつこと自体がとてもぜいたくな悩みだとは思いませんか?
私たちが主に学ぶ場所である学校は、義務教育こそ無償ですが、その無償と言ってもそのお金は税金で賄われています。

余談ですが、小学生でおよそ85万円、中学生ではおよそ100万円の税金が一人当たり一年間で使われているそうです。

さて、それだけのお金を国や間接的に家族に払ってもらって学校で学べているわけです。
歴史を見ると明治になって学制ができても、戦前の困難な時代では、小学校さえ満足に通うことさえできない人もいたわけですし、
現在でも、世界を見渡せば、学校に通いたくても通えない人もたくさんいるわけです。

ですから、学校になぜ行くのか?なんて疑問をもちながらも学校に通えていること自体がぜいたくなわけです。
だからといって「そんなぜいたくでわがままなことを言うんだったら学校に行かなくていい!!」
というのもあんまりにも乱暴な議論ですね。

2016年に瀧本哲史さんが書かれた「ミライの授業」には、こんな一文があります。
「学校は、未来と希望の工場である。そしてきみたちは魔法を学んでいる。」
というものです。
瀧本さんいわく、学校とは先人たちが見つけてきた知恵や築いてきた歴史をものすごく凝縮した状態で学べるところであり、そのことを魔法と呼んでいます。

例えば、電気はエジソンが発明する前はありませんでしたから、200年前の人にとっては夜中いつまでも明るいなんてことは魔法のようでした。
しかし、今では当たり前のように電気が使えます。その魔法が当たり前になったプロセスを学び、これからの自分たちに生かせることができる、このことを瀧本さんは魔法を学んでいると表現されたのではないでしょうか。

次、子どもたちに聞かれたらこの話をしてみてもいいかもしれません。

しかし、結局はそれも子どもにとっては誰かに与えられた答えです。所詮誰かが与えた答えなら、きっと子どもたちのがんばりも中途半端なものになるでしょう。

「さあ、なんで学ぶんだろうね?その答えを見つけるために学んでるんじゃない?」

と返してみたらどうでしょうか。

結局は自分でなぜ学ぶのかの答えを見つけられなければ、その子の未来につながる学びにはならないはずですから。

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